写真では楽しそうな雰囲気が前面に出ていますが、その背景にあるご自身の声と真摯に向き合う様子をわだようこさんが言葉にしてくださいました。
声がいいとか綺麗とか、それは元々特別に生まれ持った人だけが聴くことの出来る褒め言葉で、私にとっては遠くに見上げる、まるっきり他人事の位置にしかなかったから、ただ求められる読む事のセンスを探し続けた挙句、というほどやってもいないけど、適合する事に意識を置いていたその途方も無さに疲れて、やりたいはずの事を何度か諦めた過去がある。
声の仕事を辞めて、やっていた過去も忘れるくらい経ったこの頃、大切な仲間の勧めもあって、たつさんの声のワークを受けてみた時、「私は、私の声という楽器を楽しく豊かに響かせる事が出来る、シンプルにそれだけでいいのでは」と思えた。
私のどこかがキラキラと喜んだ。
自分の声そのものを繊細に育てていくようなワークを、私はそれまで一度も受けた事がなかったから、光に包まれる様な感覚を覚えた。
今、声の仕事をしていない中で、いい声だと私に聴こえて来た時、あれ?と不思議に思った。
私は自分の声がいい声だなんて思った事がないし、声そのものに注目した事がない。それなのに何で声の仕事を始めたんだろう?
ふと、その事がとても不思議に思えた。
スタイルがいいからモデルをやる、とか、頭がいいから博士になる、とか、先に適した条件があるから人はそれをやる、と思っていたけれど、私は事実、動機がそうじゃないことに突然自分自身に意外さを感じた。
以前私は身体に不調を感じると野口整体へ行って診てもらっていて、先生に言われた印象深い言葉をここで思い出した。
「身体が先に知っているんですよ。」
条件が先にあるからではなく、何かしら自分がやりたいと思う事は「出来る」という事を、どこよりも先ず私の身体は知っていたんじゃないか、そんな偉大なる叡知に触れた気がした。
そしてこれは声に限った事だけじゃなくて、自分に湧いた事全てに言えるんじゃないかと、そう思う事へ繋がった時、「いい声」と言われて「あれ?」と考え始めた時の私の不思議な感覚の答えに近いんだと思う。
身体が知っていた事を、後から自分が知る、例え何年経ったとしてもそんな可能性がとても眩しくて嬉しくて。
そんな見えないけれど広い場所へ、いつの間にか誘われてしまう、たつさんの声を育むワークの場に、今居るという事実を、私はただただ楽しんでいる。
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